視線、コート上の4番へ 序章

 雨の日の夜、ゴミ捨て場で転がっている男を見て、こんなこと現実にあるのだな、と思って通り過ぎようとした。できるならば関わりたくはない。しかし、ゴミの山にぐったりと倒れる明るい桃色の頭にどうも見覚えがあったので、抱えて家に持って帰ることにした。

「……あたまいってぇ……」
 いつから目を開けていたのか、ピンク頭の男は死にそうな声で呟いた。
「起きたのか」
 木村晴義はレポートノートから顔を上げた。男の天井をぼんやりと眺める目はまだ揺らめいて、十分な覚醒とは言えないようだった。声のする方に気づいたのか、その視線がゆっくり横にずれて木村と目が合う。
「あー……、ごめん、ここどこ?」
「俺の家だ」
 少しぬるくなった湯で茶を入れた木村は、がらがら声の男に渡してやった。
 素直にありがとうと呟いて男は茶に口をつけた。ひとつ息を吐いたあと、そろり、と木村の方を見た。
「……オレ、なんでここにいんの?」
「ゴミ捨て場で倒れていたお前を連れてきたから」
「マジ? じゃあありがとう……助けてくれたんだオニーサン」
 なんでかは知らないけど、と付け足して男は小首を傾げた。木村は感情の読みにくい無表情で男を見つめている。
「お前、バスケサークルにいただろう」
「うん? そーだけど……なんで知ってんの?」
「俺はバスケ部の所属だ、たびたび顔を出す。お前みたいな頭のやつ、そうはいない」
「あっは、そうだったんだ。でもごめん、オレは覚えてないや。声も覚えがないし、よかったら名前教えてよ、あ、もしかして先輩?」
 よくぺらぺらと舌が回る男だった。対照的に木村は重たい口をこじ開けて、低く喉を鳴らす。
「木村晴義」
「あー……名前はうっすら聞いたことあるかも、先輩だ。オレは沢木大輔、ところで今何時? お邪魔しちゃってごめんね、帰るよ」
「もう遅いから泊まっていけ」
 木村は半ば無意識にそう返していた。ほぼ初対面とはいえ後輩だから、そう言い訳するのは簡単だったが、木村はこの男、沢木大輔をなんとなく返したくないと思っていたのだ。なぜかはわからない、ただ、放っておけば簡単に死にそうだと感じたのかもしれない。
そのことが分かっているのかいないのか、沢木はいたずらっぽく笑って、「いいの?」と返した。

 一人暮らし、ろくに他人が泊まりに来ることもない部屋に布団がもう一式あるわけでもなく、沢木にはソファで寝てもらうことにした。
「うわ、スマホぶっ壊れてる」
「お前が着ていた衣服は今洗濯している。明日には乾くだろう」
「ありがとー……、そういえば、着替えもやってくれたの」
「勝手にやって悪かった」
「いやありがたい限りだけど……センパイお人好しだね」
 ぴくりと木村の眉根が動いて、沢木を見た。
「沢木」
 沢木は目を丸くして顔を上げた。
「聞きたいことがある」
「……なに、そんなこわい顔して」
「俺がお前を連れてきたのは、後輩のよしみという理由だけじゃない。お前から強い酒の匂いがしたのと、軽く脱水症状を起こしていたからだ」
「は……」
「それだけじゃない、身体にいくつか新しい傷もあった。あれは人の手でつけられたものだろう、見ればわかる。警察に連れて行くべきか迷った」
 沢木の顔からすぅと血の気が引く。ひく、と沢木の口元が歪んだ。
「お前、どこで何をしていた?」
「……」
 沢木は何度か唇を動かして、声にならない音が息に溶けて消える。すう、と息を吸い込むと、沢木はなんでもないような表情を作って笑った。
「……アンタに言いたくないかな」
「……そうか」
「え、もういいの」
「質問はもう一つある」
 そう言うと木村は、膝をついて沢木と目線を合わせた。沢木の冷えた手を掴む。温度差を感じていると、沢木が訝しげに視線を合わせてきた。
「本当に俺のことを知らないか」
「……え? 知らないって、だってバスケ部に黒髪でセンパイくらいの身長の人なんていっぱいいるし、声だって覚えがないよ」
「顔を見たことは」
「……わかんないってば」
「そうか」
 ならいい、と呟いて木村は立ち上がった。沢木はすっきりしない顔で木村のことを見上げていた。
 とくにおやすみとも言わないまま、木村が部屋の電気を消すまでその沈黙が部屋を支配していた。

「……?……」
 ふと、身体に違和感を覚えて木村の意識は浮上した。もぞり、と布団の中を動くものがあって、木村はぼんやりとそちらを見やる。
「……あ……!?」
「あ、起きた?」
 布一枚めくると沢木が下腹部に顔を近づけていた。それどころか木村はズボンと下着を下ろされ性器を露出させられている。沢木はに、と人好きする笑みを浮かべると、躊躇なくその萎えた性器を口に含んだ。
「な……っ!?」
 急所を突然柔らかい粘膜に包まれた木村は状況を理解できていないようだが、人に触らせたことなどないそこはむくりと頭をもたげる。ぬるぬると舌が絡みつき、じゅうと強く吸われて性器は完全に勃ちあがった。
「あは、センパイ抜いてないの? すげー元気じゃん」
「さわき、お前、何を」
「どうせオレがどこで何してたかなんて、だいたい分かってるんでしょ」
 れ、と沢木は舌を見せつけて、裏筋をなぞる。
「だから、一宿の恩、みたいな? オレけっこーうまいよ」
「やめろ、」
「目ぇ瞑ってていいからさ」
 雁首を舌先で撫でて、唾液でぬめった陰茎を手で扱かれる。心底おもしろそうに顔をうっとりさせて、沢木は反りたった性器をもう一度口に含んだ。ざらりと先端に感じるのは上顎だろう、口内の粘膜が待っていましたとばかりに吸い付いてくる。
「……っ」
 時折沢木がこちらの反応を伺うように視線を上げてくる。木村の赤くなった顔色を見ると気をよくしたのか、目尻で笑ってむしゃぶりついた。木村はといえば、後輩の男が自分の性器に奉仕する様子に、どこか現実味を忘れてしまった。
「ん、ふふ、ひーよぉ、らして」
「……ッはなせ、沢木……!」
 沢木は木村の腰を抱きしめて、一層深くまで咥え込む。ぎゅう、と喉で吸い上げられて、溢れ出た精液を口内で受け止めた。喉奥に直接叩き込まれて沢木は何度か咳き込む。
 抑えた口元からたら、と濁った滴がこぼれた。沢木がごくりと喉を鳴らして飲み干したのを、木村は目を見開いてみていた。
「あ、ごめん、服汚しちった」
「……お前、」
 項垂れた木村が沢木をねめつけている。ただ、無理やり起こされたことと射精の疲労で、すでに眼はまどろんでいた。
 沢木は口を拭って木村の顔を覗き込む。あやすように頬を優しくなぞった。
「おやすみ、センパイ」
 今は、と諦めた木村が目を閉じた。

 何度か、コート上で感じた視線を思い出していた。


 目を覚ますと沢木はいなかった。軽く畳まれた寝巻きと毛布、乾燥機からは彼の衣服は消えていて、痕跡すら無いように感じた。
 若干残るけだるさと、眼差しだけが記憶の頼りだった。


あとがき